「貴方達は、此れから就活を始めます」 PR |
文字通りに襤褸襤褸だった。 |
洞窟は氷雪吹き荒ぶ地に聳える霊峰の地下にあった。
内部は稀に見る広さで、きちっと整備された壁と天井が続いている。自然が創った面影は当に無い。 しかし地面、もとい通路に手はあまり加えられておらず、せいぜい平らに均してあるだけの簡素なものだ。 通行に使うだけ、ましてや『地面』如き。それに費やす手間と人材と金は無駄なのだ。 現在、ここの主人(あるじ)は幾つもある〝部屋〟の内、最深部に位置する地点に立ち寄っていた。 そこには厳かなカプセルが直立し、その中身は黄緑色の液体で満たされ、さらに一〇代前半と思われる少女が浮いていた。 「……これがねぇ」 少女を見ながら呟く主人は三〇代と言ったところ。着ている服は寒色系で統一され、左腕はだらんとしていて異様に白い。 「風倉(かざくら)殿下」 背後から声がした。主人の名前は『風倉』と言うらしい。 その風倉が振り返ると、初老の男が右脇に黒い物を抱えて立っていた。白をメインとした法衣調の服を着ている。 「如何でしょう?」 男はゆっくりと風倉に歩み寄り、持っていた物を手渡した。 一歩下がり、ゆっくりとカプセルの中の少女に移った眼差しには、何の感情も見出せない。 「いいじゃないか。イメージ通りだ」 受け取った物、墨色で染められた装束を撫でながら、風倉は感心した。その声に反応して、男は視線を風倉に戻す。 「コイツは何時(いつ)出せる、レドー?」 装束から眼を離さずに、親指で背後のカプセルを指しながら風倉は尋ねた。 「このまま行けば直ぐにでも。様子見として一ヶ月程の検査をしますが」 「検査だと?」 風倉は顔を上げた。 「ええ」 「コイツは『数』だ、多少悪くても構わない」 この発言に、『レドー』と呼ばれた男の両眼が細まった。そして、そのまま静かに大きく息を吸い込み、左右へウロウロしながら回答を始める。 「お言葉ですが、それでは『検査は要らない』とする絶対的な根拠には成り得ません。其れが『数』を以って攻める仕様なのだとしても、それなりの『性能』が必要なのです。この世に存在する全ての製品は皆、厳正なる検査を受けるべくして受けるもの。それが存在する許可を得るために必要な『義務』であり『責務』、今殿下の後ろで浮いている其れも例外では無いのです。私は其れを確実に殿下のお役に立たせるため、如何なる妥協も致しません」 言い終えると同時にレドーはウロウロするのを止めて、風倉へと向き直った。 「解かって頂けましたか?」 言われた風倉は少し後悔をしていた。聞きながら思い出したが、レド―は直接的に手を出す事はしない、長いセリフを独特のイントネーションで話す事によって相手の気を滅入らせてくる。『精神的』に責められる事のダメージが大きいのを知っていて、確信犯として実行してくるのだ。 ―――此の野郎、“産んだ”時にこんな性格になるとは考えもしなかったなぁ。 「殿下?」 昔に浸っているところに呼び掛けられ、反応が遅れた。 「あぁ、悪い。お前の情熱に敬意を表するよ」 「有難う御座います」 レドーは浅く頭を垂れた。 「今以上にスペックを引き上げてみせましょう」 「張り切り過ぎて壊すなよ、早くあの〝女狐〟を怖がる様を見たいからな」 「殿下ともあろう御方が愚問ですねぇ、私が張り切り過ぎて壊した事がありますか?」 「一番から五番はそうだろ?」 風倉が少女を指差した。 「あれは自壊です」 「そうは言うがな、その時々の事は俺が来た時には、何時も既に終わった後だ。だから仕方ないだろう?細かな説明は要らないぞ」 「・・・・・・私が意図的に壊した、と仰るのですか?」 「違う、素人目には同じだって事だ」 ビキャッ。 「あ?」 風倉とレドーは同時に音の方を見た。 カプセルの少女の腹に、大きな白い亀裂が走っている。 二人の目の前で亀裂は緩やかに広がって、間もなく全身に隈なく達した。 「おま・・・・・・」 少女は眼をカッと見開き、次には塵芥となって液中に帰してしまった。 紛れも無い自壊。事は崩れさり、仕切り直しとなった。 「……すまない」 「解って頂ければ、それで」 ちょっとした溝の修復である。 「今ので糸口は掴めました。培養機内の洗浄と液の交換が済みしだい、次を発生させます」 「実に頼もしい。俺はジーン共の様子を見てくるから、此処は任せたぞ」 「承知致しました、殿下」 二人の男は互いに信頼を深め、目標への決意を新たにした。 物語の幕が上がる、数ヶ月前の事である。 |
此所に一つの湖がある。
正確には湖ではなくて『巨大な水溜まり』とした方が正しい。流れ込む河川が無く、底から湧き出る湧水で水量が維持されているのは、法的には水溜まりに分類される。 そして今、其れは人と同じく眠っている。緩やかに降る月光を掛け布団にして、正に快眠だ。 水中に住まう生物も活動を控えて住まいを休ませ、より長く環境が続くように自身も休む。 辺りは人間に馴染みの薄い、純度の高い静寂にすっかり包まれていた。 流れ込む河川が無いから、それに乗って音が来る事も無い。無論、空から音を落とす無粋な輩も殆んどいない。 そんな恵まれている場所へ、ふいに風が水面を吹き抜けて、細波を起こした。 風に誘われるままに細波は進む。進んで進んで、湖の中心の所で、唐突にぶつかった。 後続の波も次々にぶつかり、どれも突破出来ずに、底へ沈んでいく。 事が起きている遥か宙には、見事な満月が静かに在る。 人間は昔から、眼で見て、体で感じた物を畏怖しては神格を与えて奉り、日本人は月に対して『月讀』を配した。対である太陽に『天照』は言うまでもない。さらには火や水や風や雷や土等々、この国の『表向き』にはカミが溢れているのだ。 先程の波の件、原因は至極簡単だ。御座所にぶつかったのだ。 端からは水面に座している少女。藤色の髪を風に靡かせ、髪と同じ色のチューブトップのマキシワンピースを着て、其の上にジージャンを重ね着し、のどかに月見をしている。 外見は高校生といったところで、月光に照らされた顔はあどけなく、浮かぶ微笑みは愛らしい。しかし側頭部からは、立派な一対の角が後ろに向かって生えている。水神として名高い『龍』の物だ。 ふいに少女は履いていたカントリーブーツとスニーカーソックスを脱ぎ、御座所の縁に移動して、ちゃぽんと両脚を浸した。 明日の予定に思いを馳せて火照っていた自分に、四月目前の水温は何とも心地好い。泳ぎたかったが、学校のプールで見掛ける『腰掛け』のバタ脚で我慢をする。暫くそうして静寂を乱し、楽しみを出来る限りに増幅させていく。 漸く縁から足を揚げ、付いている水を飛ばしてソックスとブーツを履く。そして立ち上がって眼を閉じると、彼女が身に着けている衣服や靴、更には彼女自身が末端から徐々に水と一体化していき、終いには完全なる『水』となって消えていった。 御座所が無くなった水面は波紋さえ浮かべる事も無い。 只々、其処は静かであった。 |