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第一話 『愚民がチャペルで【前編】』

 「貴方達は、此れから就活を始めます」
 数メートル先のアドバイザーはそう言った。聖隣大学内に在るチャペルに於いて開かれている、就活ガイダンスの第一回目の冒頭での事だ。
 赤城 司はアドバイザーの話を最低限だけ聞く事にし、残りの容量を雑念に当てた。赤城の様な人間の耳にはアドバイザーの語る現実程ツライ物は無い。例えるなら、下ヨシ子が除霊の際に唱える経文だ。それならば赤城は現代社会に巣食う悪霊といった所である。
 赤城という男は常時ネガティブな奴だ。加えて社会活動に必要な物覚え、応用力、論理力、行動力、社交性、状況把握。挙げた此れ等が全て最低ラインに到達していない。詳しくは解らないが、遅くとも高三の夏には今の赤城は確立されていた。赤城がネガティブ以外で断言できる数少ない事柄だ。
 『他人と協調できなくて、一人では何もできない人間』とは赤城による自己分析だ。悲しいかな、此れは親も認めた事で、自分の事だけは客観的かつ正確に見れるようである。
 ただ裏が有れば表もまた然り。赤城にも一応、塵芥程のポジティブさが有った。レア素材が出るまで狩る、漫画を求めて方々の本屋を回る、何度同じ所で落ちてもクリアするまで諦めない。言わずもがなだが、自分の好きな事に限られる。
 その他諸々の細かい中身は追々明らかになっていくだろうとも、現時点の赤城は上記の特性を持つ人物だ。
 アドバイザーは話を続けている。
 「成績証明書は学生課で申請し、キャリアサポートセンターで受けとります。申請から発行までは数日掛かります。なので、しっかり日程を把握していてください」
  「(さようですかぁっと・・・・・・)」
 取り敢えず赤城は赤いボールペンでメモをした。少しはメモらないと周りから浮いてしまう。今居る状況に溶け込まないと、後で何を言われるか解らない。
 「(愚民がこんなのに出ても意味無くねぇ? まぁ出ないと後々面倒いしなぁ)」
 メモが終わるなり、赤城は脳内で愚痴る。
 言いたい事は口に出さずに頭で思う。下手に言って場の空気を悪くしたくないし、それ以前に自分の内面以外に於ける自分の意見は、何かしら間違っている事が此れまでの人生で多過ぎた。だから此処では口に出さない。無論、人の話を聞いている時に喋らないのは当然の事である。
 未だにアドバイザーは語り続けている。もっとも、大学の講義は九十分で一コマだ、簡単には経過しない。その上に現在地はチャペルときている。アドバイザーの話よりも、『チャペルに居る』という事が赤城をナーバスにさせる。
 聖隣大学はプロテスタント系のキリスト教をスクールモットーとしている。一年生からキリスト教関連の講義が必修と定められ、火曜日以降の一限後には今居るチャペルで『全学礼拝』の時間が設けられている。
 さらには『全学礼拝』で三枚以上、最寄りの教会の日曜日の礼拝で二枚以上の出席レポートを提出しなければならないという徹底ぶりだ。
 赤城は文章が苦手だ。専用のレポート用紙に書くワケだが、それなりに行が有るから堪える。しかし抜け道が無いワケでは無い。
 此処のキリスト教関連の講義を受け持っている先生方の三分の一くらいは、『メイス』とかいった横文字が付く事から洗礼を受けたと推測出来る。幸いにも赤城が巡り会ったのは其の人達だった。
 そこで『心』を“利用”する。洗礼を受けるのは深くキリスト教を信仰しているから、キリスト教は『隣人愛』や『ルカによる福音書』の第十章三十節あたりに見られる様に『慈愛』に満ちた宗教だから、属する人々は皆々『優しい』はず。だからレポートに対しては内容よりも『ちゃんと教会に行ってくれた』事に感心が向いている、故に、稚拙な文でも“無問題”だ。と、赤城は結論した。
 結果、それで呼び出される事も無く、単位を取得出来た。やはり先生達は優しい人々だったのだろう。
 「(お解りぃ?)」
 どうでもいい事だけに頭が回る男。それが赤城 司である。
 「では次のページを見てください」
 アドバイザーが促し、言われて手元のプリントをパラパラ捲る。詰まらない内容に読む気は起きない。メモの時から下を向いていたせいか、首が痛い。
 筋肉を解すために、改めて場内を“怪しまれない様に”見渡してみる。今居る空間は体育館より少し広いくらいだろうか、二階席はスタジアムのスタンド席の様な一列に十二席が設けられた物が五段ある。二階席を囲む形で嵌められた十数枚の大型の窓は、全てが聖書の中の場面を描いたステンドグラスである。威光というか、威圧感に似た物を赤城は感じている。それでも今日の二階席は船を漕いでいる輩が大勢居るのは、皆が強靭な心を持っているからだろうか。
 赤城が居る一階部分は木製の長椅子が四列置かれている。内側の二列は八人掛けタイプが縦に十六個ずつ、外側の二列は五人掛けタイプが内側の一番目から九番目を挟む配置である。二階と同じく、多くの船頭が熱心に船を操っている姿が見られるが、夢の海に生きる者の心は総じて逞しいらしい。
 其れに負けじと、アドバイザーは大変に熱心である。赤城は飛んでくる熱を往なしているが、それでも情熱は枯れる事無く、声となりて場内の者の耳にガンガン飛んでくる。
 アドバイザーは赤城から見て、壇上の左端に有る、大統領が演説の時に使う様な台から語り掛けている。壇上の奥の中央には大きな木製の椅子が在り、少し隙間を開けて両脇に一回り小さい木製の椅子が三つ連なっている。そして中央の椅子の頭上に、厳かな十字架が静かに君臨していた。『ラテン十字』という、下へ伸びる線が長い、お馴染みのタイプだ。
 善良な子羊たるアドバイザーにとっては此の上無い味方だろうが、赤城には甚だ面倒臭い『印』にしか過ぎない。
 自分は死んだら経文を読まれて葬られるだろうから、十字の『じ』の字も出ないし、イエスだって赤城を訪ねたりはしない。赤城にしても、信仰もしていない神が来られても対応に困るだけである。
 では何故此の大学に入ったのかと言うと、取り敢えず通っていた予備校の講師に、『お前は此処の大学の入試と相性が良いから受けてみろ』と言われたからだ。キリスト教をスクールモットーにしているなんて事は、愚かにも入学式の途中で気付いたのだ。
 元から宗教全般に微塵も肩入れはしていなかった。講義の関係で教会へ通ってレポートを提出する事を経験すると、キリスト教への『反逆心』が芽生えた。当初はキリスト教関連の講義に於いて、菩提寺から貰った学業成就の鉛筆を使っていた。『仏教の心でキリスト教の教えを賜っているぞ』という意味である。
 それを二年もすると、次の段階へと進みたくなる。そして到達したのは、古来より日本に在って日本人に密接している国産宗教『神道』であった。今でこそ仏教との習合によって境が曖昧に為っているものの、日本生まれ日本育ちは揺るがない。
 切っ掛けはレポートのため、日曜の礼拝に向かう道すがらだった。区役所の隣に正にひっそりと建ち、明らかに周りと違う雰囲気を放つ其れは、教会へ向かおうとしていた者にとっては偉く新鮮に映った。其れなんてモノは物心が付いた時から見ているはずで、大した興味も持っていなかったのに、今になって物凄く“欲しく”なった。
 其れは、『正一位倉屋敷稲荷神社』という稲荷神社だった。
 その出来事以来、赤城は神道、特に『稲荷』を嗜好する様になった。稲荷はそこかしこに在る。実家の直ぐ近くに『豊川稲荷』という小さな小さな稲荷神社を見つけたのは、個人的に大きな功績である。赤城の反逆心は、此れを以て落ち着いた。
 「質問はありますか? ・・・・・・では此れで終了します。長時間、お疲れ様でした」
 礼儀としての拍手を会場の皆より一瞬遅れて、赤城も拍手した。九十分が終わった事に、ようやく昼飯が喰える事に、何より此の『愚民』に対しても時間を割いてくれた事に労いの意を表して、拍手を送った。
 出席していた数人の先生方が小さな連絡事項を述べ、本当に解散となった。赤城は赤ボールペンをペンケースにしまい、ペンケースを足元のリュックに放り込み、上部の取手を掴んで背負わずに席を立った。
 のろのろと進む列に甘んじ、足踏みに近い感じで歩いていく。出入り口の扉を潜ると小さなロビーである。二階からの学生も合流するため直ぐに一杯になり、速度に変化が無い。ただ『ちょっとスイマセン』の言霊を唱えれば、人一人がカニ歩きで通れるくらいの隙間が生まれ、其処を足早に抜けていき、ようやく赤城は外へ出れた。
 空は白くて明るい曇天である。日光が良く通るが風通しが悪い、微風の空である。
 目の前の四段しかない幅広い階段からレンガの道をほんの少し歩くと、道は石とコンクリートの中間の様な材質に変わる。それを挟む形で二組のベンチが配置されており、此れはコンクリートで構成されている。赤城は手近なベンチに座り、自分の隣にリュックを降ろした。周りの駄弁りが喧騒と化していて騒がしい。
 時刻は腕時計を見ると十二時半で、昼休みである。今日は四限までだが三限が無い。昼休みが一時間、講義は一コマ九十分だから、総計二時間半もの暇を持て余すが、大学にはそれなりの図書館が在るので大して苦ではない。図書館は騒いだり、飲食をしなければ何をしても良いと赤城は思っている。ケータイを操作しようが寝ようが平気であった。
 目的地を定め、席を立とうと重心を前に移動させようとする。其処に目掛けて、目の前に黒い物体が降ってきた。
 「おぶっ!?」
 急に視界に物体が現れたおかげで反射的に飛び退いてしまい、ベンチの後ろに背中から落ちてしまった。オーバーリアクションの発現はみっともない。
  「おぉあっ・・・・・・」
 落ちた所は芝生が植えられている面だった。とは言え、インドア生活者の肉体には強烈な衝撃である事は変わりない。極近い距離から笑い声が聞こえると、両の内腿から汗が出る。緊張した時に出る物だ。
 赤城はなるべく周りの者達を見ない様にして起き上がり、改めて降ってきた物をベンチを挟んで恐る恐る見た。
 ヌイグルミであった。大きさは三十センチくらいのテディベア系スタイルで、リレーのバトンくらいの太さの尻尾が生えている。頭部のレイアウトは両耳がピンと天を指し、丸い顔の両頬からはヒゲが放射状に伸び、両眼の瞳孔が縦に細くて妙にリアルだ。察するに『猫』なのだろう。赤城は率直な感想を述べる。
 「・・・・・・化け猫だな」
 眼を細めると余計に其れらしく見える。その内に動き出しそうな雰囲気も多少有る。
 慣れてきた赤城はベンチを跨ぎ、念のためにじっくりと注視し、やがてヌイグルミを手に取った。手触りは良い。軽さからして綿なのだろう、オーソドックスな中身である。
 「・・・・・・何ぞコレ?」
 赤城は手に取った事を後悔し始めている。対処の仕方が解らない物に軽率に手を出してしまい、置いて逃げるワケにもいかず、誰に届ければ良いのか見当が付かない。また両の内腿から汗が出てくる。
 其の次には重厚な音が頭に落ちてきた。チャペルの鐘が鳴った、つまり昼休みになったのだ。普段なら学内の掲示板を見ながら握り飯を頬張っていたろうに、解らぬ物に手を出して此のザマである。どうしてくれよう、またトラウマが一つ増えてしまった。
 そう思った次だった。
 「返して」
 反射的に赤城は右を向いた。蚊の鳴く様な至極小さくて透き通る声だったが、明瞭に聞こえた。
 眼前にスレンダーな女子が立っている。歳は十七、八といったところだ。黒地の生地にエングレーブ風の模様が金色で全体に描かれた長袖のワンピースに、黒いベルト、黒いタイツ、そして黒いメリージェーン・パンプスという装いで、礼服とも喪服とも言えるコーディネートである。曇天の下でも艶やかに光る黒髪は、恐らく背中の中程まであるのだろう。肌は出不精の赤城の白さとは違う、そうせざるを得ない深窓の令嬢の其れだ、上品さが違う。顔立ちに関しては、赤城のボキャブラリィでは『可憐』とか『上玉』としか言い様が無い。只、実際に其れらの言葉がピッタリな造りである。今が憂いの表情でなければ、もっと良いだろう。そして、両眼の虹彩がショッキング・ピンクである。カラーコンタクトでも見た事が無い。
 「返して」
 変わらない声量で女子が言う。言われた赤城は女子を眼にしてから文字通りに停止していたのだが、一歩近付かれた事で脊髄反射でヌイグルミを差し出した。
 片手で出されたヌイグルミを、女子は両手で受け取った。丹念に傷が無いか調べ、やがて満面の笑みで「ありがとう」と言った。其れでも相変わらずの声量という事は、此れ以上は出せないのだろう。
 女子がヌイグルミに視線を落とした隙に赤城は二歩下がった。近付かれた分のマイナスと、話しやすい距離へのプラスである。本当は去りたかったのだが、其れが良いのかどうかが判断できず、妥協して此の方法をとった。苦肉とも言う。
 「ねぇ」
 「はいッ?」
 距離が功をそうして幾分か楽だ。
 「あなた、不思議な人ね」
 「ふし・・・・・・ぎ?」
 「心は大きな“がらんどう”。目指す道を見ようとも求めようともしない。希望も情熱も活力すら持たないのに、与えられた生を消費出来ているなんて、本当に不思議な人」
 思い当たる節は多々有るが、此の状況では考えられない。初対面で其処まで見抜く眼力は特筆に値するが、初対面かつ笑顔で言う事ではないだろう。評価とも嘲笑とも取れる発言で、赤城の顔は多少引き吊った。
 女子は続ける。
 「私ね、此れから遊ぶの」
 「遊ぶ?」
 「此処はとても面白そうなの。『今度こそ満足出来る』って思うとね、すごくゾクゾクしちゃうの。此の世界に出逢えた事を、貴方の神に感謝します」
 女子は胸の前で十字を切った。『あなたの神』と言われた赤城は口には出さず、脳内で聞こえない反論をする。
 「あなたも遊ぶ?」
 輝く瞳で女子は赤城に尋ねる。
 「遊ば、ないです。はい」
 少しの間を置いて、滑舌が悪くならない様に、ゆっくりとハッキリ言う。初対面だから顕著である。
 「遊ばない?」
 「え、いや、厳密に言うと、遊べないです」
 「遊べない?」
 「講義があるんで・・・・・・」
 語尾がモゴモゴして本人にすら聞き取れない。女子は不思議そうな顔で赤城を見つめ、赤城は眼を見れずに額や顎に視線をやっている。
 「遊びたくないの?」
 女子が問う。
 「あなたは遊びが嫌いなの?」
 「・・・・・・遊べるものなら、遊びたいです」
 溜め息をついて、赤城は本音を言った。心が何時より暗くなる。
 「じゃあ、時が来たら遊びましょ。終わるまで待ってるから」
 女子の顔に笑みが戻り、提案する。赤城が返答に困っているのを尻目に、女子は右手を後ろに回し、赤城の前に差し出した時には、十五センチくらいの白いヌイグルミを持っていた。先程、赤城が渡したヌイグルミの、色違いのサイズ違いである。
 「拾ってくれたお礼。もう複写したからオリジナルは要らないの。遊ぶ時に“握り締めて”ね、其れまでは守ってくれるから」
 微笑みながら解らぬ事を言う女子。返答に困っていた時点で思考がドロドロになっていた赤城は無意識に任せ、白いお礼を両手で受け取った。ヌイグルミの眼はやっぱり赤く、白い体に非常にマッチしている。白と赤、黒と赤、赤城は此の組み合わせが好きだ。
 眼に見入っていた赤城は、己の鼓膜が捉えた突然の大音量に酷く驚いた。凶悪な宇宙生物に狙われているクルーよろしく、周囲を慌ただしく見回すと、ガイダンスを終えた学生が大勢居た。チャペルからも人が出てきている。
 驚いた衝撃で思考が動き出す。同時に赤城は唐突に、“今まで時間が止まっていた”事に気が付いた。脈拍が上昇して喉がみるみる渇き、パンクしそうな頭で女子の方を向くと、女子は何処にも居なかった。
 言葉が出ずに、喉から変な音が出た。
 鐘はまだ鳴っている。

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【2011/07/31 20:35 】 | 戦神稲荷 | 有り難いご意見(0)
プロローグ

  文字通りに襤褸襤褸だった。
  鎧は至る所が罅割れて欠落し、あちこちの負傷した箇所からは出血が止まらずに赤黒くなっている。右手で握り締めた業物の刃も柄も、三分の二以上が折れて使い物にならず、蓄積したダメージは既に許容量を遥かに越えていた。
  両の奥歯を出来る限りに喰いしばる。ふらつく頭でどうにか前を見れば、相手である女子は場違いにも微笑んでいる。
  其の毳毳しい、ショッキング・ピンクの虹彩を持つ眼は、黒のペンキをぶちまけた夜の中で妖しく光り、人間とは一線を画す底の深さを漂わせていた。
   彼女の後ろには厳かなチャペルが控えている。皆既月蝕の赤い月に照らされて聳える其れは、幾度も通って慣れた筈の建築物とは到底思えない程に恐ろしかった。
  「ほら、もっと遊びましょ?」
  瞬間に静まる空間に、彼女が微笑んだままに放った無茶な事は、とても良く通った。襤褸襤褸にしたのは自分のくせに、覚えが無いとでも言うのだろうか。
  届くのならば、其の顔に鉄拳を見舞いたかった。
  「・・・・・・やろうぜ」
  自棄から出た言葉だった。有言実行で歩み寄って殴ろうとしたが、脚からの応答は無く、歩行は無理だった。
  其れを察したのか、彼女が此方に歩いてきた。石とコンクリートの中間の様な材質の道に靴音を響かせ、悠然とした態度で向かってくる。靴音が止めば、トドメを刺されるのだろう。
  最早勝機なんて微塵も無いのは解っていた。だから負ける前に、奴に最後の一撃を浴びせてから負けようと考えた。
  朽ちた刀身で両断なんて高望みはしない、せめて額を割れれば其れで満足だ。殺す事が出来ないのならば、せめて永く残る傷を刻めばいい。
  顔は女の命の一つだ、傷が付けば簡単には嫁に行けまい。精々惨たらしい痕を受けて“行けず後家”になってしまえ。
  今一度、奥歯を喰いしばって活を絞り出す。重たい右腕が軋みながら徐々に上がり、体の各部が連動して振り下ろす構えになっていく。
  損傷が激しい左脇腹から血が余計に滲み、右手が小刻みに震えてカチカチと業物が鳴っている。気温による寒さ、死ぬ事への脅え、勝てない悔しさ、女の命を汚す興奮。ゴチャゴチャと全てが有って、故に全体が何なのかが見えてこない。或る意味、『無』というのは此の事を言うのかもしれない。
  刀身の先端が空を向いた。
  「今まで一番、勇壮な姿」
  靴音を止めて彼女が言った。止めたが彼女は手を出さず、此方に丁度良い位地で佇んでいる。敢えて足掻きを受けてくれる様だ。
  ナメられている。
  普段は気にも留めない感情に、今は大いに反応して怒りが生成されていく。
  相手から贈られた活のブースター、存分に使わせて貰うとしよう。
  「あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
  有らん限りに振り下ろす。刃が頭蓋骨を捉え、抉った感触が右手に伝わった。
  さしもの彼女も、道を背に空を仰ぐだろう。そのつもりでやったのだから、当然である。
  此方は振り切った勢いで、体が彼女の方へ倒れていく。留まる気力も、踏ん張る脚力も何もかもが無く、どうにもならない。
  終わったのだ。出会った日から、今の今まで続いた思わぬ体験の日々。負けて終わりでも、奴に一矢報いたのだから良しとすればいい。フェードアウトしていく意識だったが、充足感を確かに感じていた。


  ―――うふふ。


  ガクンと、体が斜めのまま急停止した。衝撃で業物が手元から離れて地に落ちる。脚はだらんと『くの字』に曲がり、体の角度を鑑みても決して自立出来る姿勢ではない。
  次第に帰ってくる自意識と感覚。自分の首には相手の肩が添えられ、両上腕は両手に掴まれている。此の状況は相手に寄っ掛かり、相手が自分を支えてくれている。
  緩やかに体が相手から離される。両腕が伸びきった所で、相手の顔が見えた。数秒前と何ら変わらない、傷一つ無い彼女の微笑みだった。
  “やっぱり何とも無い”
  「えぇ・・・・・・」
  軽く両腕が曲げられたのも束の間、優しく突き放された。後の事は、ハイスピード・カメラの様な映像だった。
   彼女が冷笑したかと思うと、眼と同じ色の揺らめく物を何処からか両手に纏った。そのまま勢い良く合掌すると、次には同じ勢いで離し、手と手の間にはバスケットボール程の毳毳しい色の光球が生まれた。上半身を捻って右足を引き、右手を上に左手を下にして、光球を体の横に持っていった。そして其の体勢のまま数秒程チャージして、両腕を前に突き出すと同時に光球をブッ放した。
  光球は此方の胸に直撃し、鎧から真紅の火花が盛大に散った。昇ってきた階段の上を、凄まじい勢いで吹っ飛んでいく我が身の前面は、数多の筋肉と器官がブチ切られ、骨々は見事に粉砕され、血と其の他の体液でグチャグチャになる。
  光球は直撃すると色を保ったままに数多の粒子となって空中に舞い、素肌から此方の体内に取り込まれていった。全てが体内に収まった時、階段下に停めていたバイクに背中から激突し、それなりの距離を共にスリップした。
  停車すると、横倒しのバイクを枕にした形になった。鎧は解け、纏う前に着ていた私服に戻っている。
  ジャケットの下のロングTシャツが瞬く間に血に染まっていく。今度こそ本当に終わる、負けるよりも悲愴な『戦死』という形で終わっていく。
  唐突に脳裏が可笑しくなった。深夜だと言うのに、視界は曇天の昼間なのである。周りを若い男女達が行き交い、たった今過ぎた目の前の階段を昇っていく。
  其の中に見慣れた姿を見つけた。覇気の無い顔、隙だらけの猫背、背負っているプレイステーションのロゴが入ったリュック、“独創的”なコーディネートの服装。
  あれは数ヵ月前の自分だ。ならば此れは走馬灯の始まりだ。死にかけの意識は走馬灯の自分と一体化し、行動をなぞり始める。
  そうして時を遡り、全ての始まりとなった十月十九日の二限目に、赤城 司は戻っていった。
 

【2011/05/23 20:40 】 | 戦神稲荷 | 有り難いご意見(0)
プロローグ
  洞窟は氷雪吹き荒ぶ地に聳える霊峰の地下にあった。
  内部は稀に見る広さで、きちっと整備された壁と天井が続いている。自然が創った面影は当に無い。
 しかし地面、もとい通路に手はあまり加えられておらず、せいぜい平らに均してあるだけの簡素なものだ。
 通行に使うだけ、ましてや『地面』如き。それに費やす手間と人材と金は無駄なのだ。 
 現在、ここの主人(あるじ)は幾つもある〝部屋〟の内、最深部に位置する地点に立ち寄っていた。
 そこには厳かなカプセルが直立し、その中身は黄緑色の液体で満たされ、さらに一〇代前半と思われる少女が浮いていた。
 「……これがねぇ」
 少女を見ながら呟く主人は三〇代と言ったところ。着ている服は寒色系で統一され、左腕はだらんとしていて異様に白い。
 「風倉(かざくら)殿下」
 背後から声がした。主人の名前は『風倉』と言うらしい。
 その風倉が振り返ると、初老の男が右脇に黒い物を抱えて立っていた。白をメインとした法衣調の服を着ている。
 「如何でしょう?」
 男はゆっくりと風倉に歩み寄り、持っていた物を手渡した。
 一歩下がり、ゆっくりとカプセルの中の少女に移った眼差しには、何の感情も見出せない。
 「いいじゃないか。イメージ通りだ」
 受け取った物、墨色で染められた装束を撫でながら、風倉は感心した。その声に反応して、男は視線を風倉に戻す。
 「コイツは何時(いつ)出せる、レドー?」
 装束から眼を離さずに、親指で背後のカプセルを指しながら風倉は尋ねた。
 「このまま行けば直ぐにでも。様子見として一ヶ月程の検査をしますが」
 「検査だと?」
 風倉は顔を上げた。
 「ええ」
 「コイツは『数』だ、多少悪くても構わない」
 この発言に、『レドー』と呼ばれた男の両眼が細まった。そして、そのまま静かに大きく息を吸い込み、左右へウロウロしながら回答を始める。
 「お言葉ですが、それでは『検査は要らない』とする絶対的な根拠には成り得ません。其れが『数』を以って攻める仕様なのだとしても、それなりの『性能』が必要なのです。この世に存在する全ての製品は皆、厳正なる検査を受けるべくして受けるもの。それが存在する許可を得るために必要な『義務』であり『責務』、今殿下の後ろで浮いている其れも例外では無いのです。私は其れを確実に殿下のお役に立たせるため、如何なる妥協も致しません」
 言い終えると同時にレドーはウロウロするのを止めて、風倉へと向き直った。
 「解かって頂けましたか?」
 言われた風倉は少し後悔をしていた。聞きながら思い出したが、レド―は直接的に手を出す事はしない、長いセリフを独特のイントネーションで話す事によって相手の気を滅入らせてくる。『精神的』に責められる事のダメージが大きいのを知っていて、確信犯として実行してくるのだ。

―――此の野郎、“産んだ”時にこんな性格になるとは考えもしなかったなぁ。

 「殿下?」
 昔に浸っているところに呼び掛けられ、反応が遅れた。
 「あぁ、悪い。お前の情熱に敬意を表するよ」
 「有難う御座います」
 レドーは浅く頭を垂れた。
 「今以上にスペックを引き上げてみせましょう」
 「張り切り過ぎて壊すなよ、早くあの〝女狐〟を怖がる様を見たいからな」
 「殿下ともあろう御方が愚問ですねぇ、私が張り切り過ぎて壊した事がありますか?」 
 「一番から五番はそうだろ?」
 風倉が少女を指差した。
 「あれは自壊です」
 「そうは言うがな、その時々の事は俺が来た時には、何時も既に終わった後だ。だから仕方ないだろう?細かな説明は要らないぞ」
 「・・・・・・私が意図的に壊した、と仰るのですか?」
 「違う、素人目には同じだって事だ」
 ビキャッ。
 「あ?」
 風倉とレドーは同時に音の方を見た。
 カプセルの少女の腹に、大きな白い亀裂が走っている。
 二人の目の前で亀裂は緩やかに広がって、間もなく全身に隈なく達した。
 「おま・・・・・・」
 少女は眼をカッと見開き、次には塵芥となって液中に帰してしまった。
 紛れも無い自壊。事は崩れさり、仕切り直しとなった。
 「……すまない」
 「解って頂ければ、それで」
 ちょっとした溝の修復である。
 「今ので糸口は掴めました。培養機内の洗浄と液の交換が済みしだい、次を発生させます」
 「実に頼もしい。俺はジーン共の様子を見てくるから、此処は任せたぞ」
 「承知致しました、殿下」
 二人の男は互いに信頼を深め、目標への決意を新たにした。
 物語の幕が上がる、数ヶ月前の事である。
【2010/08/16 16:29 】 | 天鬥 | 有り難いご意見(0)
プロローグ
 此所に一つの湖がある。
 正確には湖ではなくて『巨大な水溜まり』とした方が正しい。流れ込む河川が無く、底から湧き出る湧水で水量が維持されているのは、法的には水溜まりに分類される。
 そして今、其れは人と同じく眠っている。緩やかに降る月光を掛け布団にして、正に快眠だ。
 水中に住まう生物も活動を控えて住まいを休ませ、より長く環境が続くように自身も休む。
 辺りは人間に馴染みの薄い、純度の高い静寂にすっかり包まれていた。
 流れ込む河川が無いから、それに乗って音が来る事も無い。無論、空から音を落とす無粋な輩も殆んどいない。
 そんな恵まれている場所へ、ふいに風が水面を吹き抜けて、細波を起こした。
 風に誘われるままに細波は進む。進んで進んで、湖の中心の所で、唐突にぶつかった。
 後続の波も次々にぶつかり、どれも突破出来ずに、底へ沈んでいく。
 事が起きている遥か宙には、見事な満月が静かに在る。
 人間は昔から、眼で見て、体で感じた物を畏怖しては神格を与えて奉り、日本人は月に対して『月讀』を配した。対である太陽に『天照』は言うまでもない。さらには火や水や風や雷や土等々、この国の『表向き』にはカミが溢れているのだ。
 先程の波の件、原因は至極簡単だ。御座所にぶつかったのだ。
 端からは水面に座している少女。藤色の髪を風に靡かせ、髪と同じ色のチューブトップのマキシワンピースを着て、其の上にジージャンを重ね着し、のどかに月見をしている。
 外見は高校生といったところで、月光に照らされた顔はあどけなく、浮かぶ微笑みは愛らしい。しかし側頭部からは、立派な一対の角が後ろに向かって生えている。水神として名高い『龍』の物だ。
 ふいに少女は履いていたカントリーブーツとスニーカーソックスを脱ぎ、御座所の縁に移動して、ちゃぽんと両脚を浸した。
 明日の予定に思いを馳せて火照っていた自分に、四月目前の水温は何とも心地好い。泳ぎたかったが、学校のプールで見掛ける『腰掛け』のバタ脚で我慢をする。暫くそうして静寂を乱し、楽しみを出来る限りに増幅させていく。
 漸く縁から足を揚げ、付いている水を飛ばしてソックスとブーツを履く。そして立ち上がって眼を閉じると、彼女が身に着けている衣服や靴、更には彼女自身が末端から徐々に水と一体化していき、終いには完全なる『水』となって消えていった。
 御座所が無くなった水面は波紋さえ浮かべる事も無い。
 只々、其処は静かであった。
【2010/08/16 16:20 】 | コマザワレイコと七柱 | 有り難いご意見(0)
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