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第一話 『愚民がチャペルで【前編】』

 「貴方達は、此れから就活を始めます」
 数メートル先のアドバイザーはそう言った。聖隣大学内に在るチャペルに於いて開かれている、就活ガイダンスの第一回目の冒頭での事だ。
 赤城 司はアドバイザーの話を最低限だけ聞く事にし、残りの容量を雑念に当てた。赤城の様な人間の耳にはアドバイザーの語る現実程ツライ物は無い。例えるなら、下ヨシ子が除霊の際に唱える経文だ。それならば赤城は現代社会に巣食う悪霊といった所である。
 赤城という男は常時ネガティブな奴だ。加えて社会活動に必要な物覚え、応用力、論理力、行動力、社交性、状況把握。挙げた此れ等が全て最低ラインに到達していない。詳しくは解らないが、遅くとも高三の夏には今の赤城は確立されていた。赤城がネガティブ以外で断言できる数少ない事柄だ。
 『他人と協調できなくて、一人では何もできない人間』とは赤城による自己分析だ。悲しいかな、此れは親も認めた事で、自分の事だけは客観的かつ正確に見れるようである。
 ただ裏が有れば表もまた然り。赤城にも一応、塵芥程のポジティブさが有った。レア素材が出るまで狩る、漫画を求めて方々の本屋を回る、何度同じ所で落ちてもクリアするまで諦めない。言わずもがなだが、自分の好きな事に限られる。
 その他諸々の細かい中身は追々明らかになっていくだろうとも、現時点の赤城は上記の特性を持つ人物だ。
 アドバイザーは話を続けている。
 「成績証明書は学生課で申請し、キャリアサポートセンターで受けとります。申請から発行までは数日掛かります。なので、しっかり日程を把握していてください」
  「(さようですかぁっと・・・・・・)」
 取り敢えず赤城は赤いボールペンでメモをした。少しはメモらないと周りから浮いてしまう。今居る状況に溶け込まないと、後で何を言われるか解らない。
 「(愚民がこんなのに出ても意味無くねぇ? まぁ出ないと後々面倒いしなぁ)」
 メモが終わるなり、赤城は脳内で愚痴る。
 言いたい事は口に出さずに頭で思う。下手に言って場の空気を悪くしたくないし、それ以前に自分の内面以外に於ける自分の意見は、何かしら間違っている事が此れまでの人生で多過ぎた。だから此処では口に出さない。無論、人の話を聞いている時に喋らないのは当然の事である。
 未だにアドバイザーは語り続けている。もっとも、大学の講義は九十分で一コマだ、簡単には経過しない。その上に現在地はチャペルときている。アドバイザーの話よりも、『チャペルに居る』という事が赤城をナーバスにさせる。
 聖隣大学はプロテスタント系のキリスト教をスクールモットーとしている。一年生からキリスト教関連の講義が必修と定められ、火曜日以降の一限後には今居るチャペルで『全学礼拝』の時間が設けられている。
 さらには『全学礼拝』で三枚以上、最寄りの教会の日曜日の礼拝で二枚以上の出席レポートを提出しなければならないという徹底ぶりだ。
 赤城は文章が苦手だ。専用のレポート用紙に書くワケだが、それなりに行が有るから堪える。しかし抜け道が無いワケでは無い。
 此処のキリスト教関連の講義を受け持っている先生方の三分の一くらいは、『メイス』とかいった横文字が付く事から洗礼を受けたと推測出来る。幸いにも赤城が巡り会ったのは其の人達だった。
 そこで『心』を“利用”する。洗礼を受けるのは深くキリスト教を信仰しているから、キリスト教は『隣人愛』や『ルカによる福音書』の第十章三十節あたりに見られる様に『慈愛』に満ちた宗教だから、属する人々は皆々『優しい』はず。だからレポートに対しては内容よりも『ちゃんと教会に行ってくれた』事に感心が向いている、故に、稚拙な文でも“無問題”だ。と、赤城は結論した。
 結果、それで呼び出される事も無く、単位を取得出来た。やはり先生達は優しい人々だったのだろう。
 「(お解りぃ?)」
 どうでもいい事だけに頭が回る男。それが赤城 司である。
 「では次のページを見てください」
 アドバイザーが促し、言われて手元のプリントをパラパラ捲る。詰まらない内容に読む気は起きない。メモの時から下を向いていたせいか、首が痛い。
 筋肉を解すために、改めて場内を“怪しまれない様に”見渡してみる。今居る空間は体育館より少し広いくらいだろうか、二階席はスタジアムのスタンド席の様な一列に十二席が設けられた物が五段ある。二階席を囲む形で嵌められた十数枚の大型の窓は、全てが聖書の中の場面を描いたステンドグラスである。威光というか、威圧感に似た物を赤城は感じている。それでも今日の二階席は船を漕いでいる輩が大勢居るのは、皆が強靭な心を持っているからだろうか。
 赤城が居る一階部分は木製の長椅子が四列置かれている。内側の二列は八人掛けタイプが縦に十六個ずつ、外側の二列は五人掛けタイプが内側の一番目から九番目を挟む配置である。二階と同じく、多くの船頭が熱心に船を操っている姿が見られるが、夢の海に生きる者の心は総じて逞しいらしい。
 其れに負けじと、アドバイザーは大変に熱心である。赤城は飛んでくる熱を往なしているが、それでも情熱は枯れる事無く、声となりて場内の者の耳にガンガン飛んでくる。
 アドバイザーは赤城から見て、壇上の左端に有る、大統領が演説の時に使う様な台から語り掛けている。壇上の奥の中央には大きな木製の椅子が在り、少し隙間を開けて両脇に一回り小さい木製の椅子が三つ連なっている。そして中央の椅子の頭上に、厳かな十字架が静かに君臨していた。『ラテン十字』という、下へ伸びる線が長い、お馴染みのタイプだ。
 善良な子羊たるアドバイザーにとっては此の上無い味方だろうが、赤城には甚だ面倒臭い『印』にしか過ぎない。
 自分は死んだら経文を読まれて葬られるだろうから、十字の『じ』の字も出ないし、イエスだって赤城を訪ねたりはしない。赤城にしても、信仰もしていない神が来られても対応に困るだけである。
 では何故此の大学に入ったのかと言うと、取り敢えず通っていた予備校の講師に、『お前は此処の大学の入試と相性が良いから受けてみろ』と言われたからだ。キリスト教をスクールモットーにしているなんて事は、愚かにも入学式の途中で気付いたのだ。
 元から宗教全般に微塵も肩入れはしていなかった。講義の関係で教会へ通ってレポートを提出する事を経験すると、キリスト教への『反逆心』が芽生えた。当初はキリスト教関連の講義に於いて、菩提寺から貰った学業成就の鉛筆を使っていた。『仏教の心でキリスト教の教えを賜っているぞ』という意味である。
 それを二年もすると、次の段階へと進みたくなる。そして到達したのは、古来より日本に在って日本人に密接している国産宗教『神道』であった。今でこそ仏教との習合によって境が曖昧に為っているものの、日本生まれ日本育ちは揺るがない。
 切っ掛けはレポートのため、日曜の礼拝に向かう道すがらだった。区役所の隣に正にひっそりと建ち、明らかに周りと違う雰囲気を放つ其れは、教会へ向かおうとしていた者にとっては偉く新鮮に映った。其れなんてモノは物心が付いた時から見ているはずで、大した興味も持っていなかったのに、今になって物凄く“欲しく”なった。
 其れは、『正一位倉屋敷稲荷神社』という稲荷神社だった。
 その出来事以来、赤城は神道、特に『稲荷』を嗜好する様になった。稲荷はそこかしこに在る。実家の直ぐ近くに『豊川稲荷』という小さな小さな稲荷神社を見つけたのは、個人的に大きな功績である。赤城の反逆心は、此れを以て落ち着いた。
 「質問はありますか? ・・・・・・では此れで終了します。長時間、お疲れ様でした」
 礼儀としての拍手を会場の皆より一瞬遅れて、赤城も拍手した。九十分が終わった事に、ようやく昼飯が喰える事に、何より此の『愚民』に対しても時間を割いてくれた事に労いの意を表して、拍手を送った。
 出席していた数人の先生方が小さな連絡事項を述べ、本当に解散となった。赤城は赤ボールペンをペンケースにしまい、ペンケースを足元のリュックに放り込み、上部の取手を掴んで背負わずに席を立った。
 のろのろと進む列に甘んじ、足踏みに近い感じで歩いていく。出入り口の扉を潜ると小さなロビーである。二階からの学生も合流するため直ぐに一杯になり、速度に変化が無い。ただ『ちょっとスイマセン』の言霊を唱えれば、人一人がカニ歩きで通れるくらいの隙間が生まれ、其処を足早に抜けていき、ようやく赤城は外へ出れた。
 空は白くて明るい曇天である。日光が良く通るが風通しが悪い、微風の空である。
 目の前の四段しかない幅広い階段からレンガの道をほんの少し歩くと、道は石とコンクリートの中間の様な材質に変わる。それを挟む形で二組のベンチが配置されており、此れはコンクリートで構成されている。赤城は手近なベンチに座り、自分の隣にリュックを降ろした。周りの駄弁りが喧騒と化していて騒がしい。
 時刻は腕時計を見ると十二時半で、昼休みである。今日は四限までだが三限が無い。昼休みが一時間、講義は一コマ九十分だから、総計二時間半もの暇を持て余すが、大学にはそれなりの図書館が在るので大して苦ではない。図書館は騒いだり、飲食をしなければ何をしても良いと赤城は思っている。ケータイを操作しようが寝ようが平気であった。
 目的地を定め、席を立とうと重心を前に移動させようとする。其処に目掛けて、目の前に黒い物体が降ってきた。
 「おぶっ!?」
 急に視界に物体が現れたおかげで反射的に飛び退いてしまい、ベンチの後ろに背中から落ちてしまった。オーバーリアクションの発現はみっともない。
  「おぉあっ・・・・・・」
 落ちた所は芝生が植えられている面だった。とは言え、インドア生活者の肉体には強烈な衝撃である事は変わりない。極近い距離から笑い声が聞こえると、両の内腿から汗が出る。緊張した時に出る物だ。
 赤城はなるべく周りの者達を見ない様にして起き上がり、改めて降ってきた物をベンチを挟んで恐る恐る見た。
 ヌイグルミであった。大きさは三十センチくらいのテディベア系スタイルで、リレーのバトンくらいの太さの尻尾が生えている。頭部のレイアウトは両耳がピンと天を指し、丸い顔の両頬からはヒゲが放射状に伸び、両眼の瞳孔が縦に細くて妙にリアルだ。察するに『猫』なのだろう。赤城は率直な感想を述べる。
 「・・・・・・化け猫だな」
 眼を細めると余計に其れらしく見える。その内に動き出しそうな雰囲気も多少有る。
 慣れてきた赤城はベンチを跨ぎ、念のためにじっくりと注視し、やがてヌイグルミを手に取った。手触りは良い。軽さからして綿なのだろう、オーソドックスな中身である。
 「・・・・・・何ぞコレ?」
 赤城は手に取った事を後悔し始めている。対処の仕方が解らない物に軽率に手を出してしまい、置いて逃げるワケにもいかず、誰に届ければ良いのか見当が付かない。また両の内腿から汗が出てくる。
 其の次には重厚な音が頭に落ちてきた。チャペルの鐘が鳴った、つまり昼休みになったのだ。普段なら学内の掲示板を見ながら握り飯を頬張っていたろうに、解らぬ物に手を出して此のザマである。どうしてくれよう、またトラウマが一つ増えてしまった。
 そう思った次だった。
 「返して」
 反射的に赤城は右を向いた。蚊の鳴く様な至極小さくて透き通る声だったが、明瞭に聞こえた。
 眼前にスレンダーな女子が立っている。歳は十七、八といったところだ。黒地の生地にエングレーブ風の模様が金色で全体に描かれた長袖のワンピースに、黒いベルト、黒いタイツ、そして黒いメリージェーン・パンプスという装いで、礼服とも喪服とも言えるコーディネートである。曇天の下でも艶やかに光る黒髪は、恐らく背中の中程まであるのだろう。肌は出不精の赤城の白さとは違う、そうせざるを得ない深窓の令嬢の其れだ、上品さが違う。顔立ちに関しては、赤城のボキャブラリィでは『可憐』とか『上玉』としか言い様が無い。只、実際に其れらの言葉がピッタリな造りである。今が憂いの表情でなければ、もっと良いだろう。そして、両眼の虹彩がショッキング・ピンクである。カラーコンタクトでも見た事が無い。
 「返して」
 変わらない声量で女子が言う。言われた赤城は女子を眼にしてから文字通りに停止していたのだが、一歩近付かれた事で脊髄反射でヌイグルミを差し出した。
 片手で出されたヌイグルミを、女子は両手で受け取った。丹念に傷が無いか調べ、やがて満面の笑みで「ありがとう」と言った。其れでも相変わらずの声量という事は、此れ以上は出せないのだろう。
 女子がヌイグルミに視線を落とした隙に赤城は二歩下がった。近付かれた分のマイナスと、話しやすい距離へのプラスである。本当は去りたかったのだが、其れが良いのかどうかが判断できず、妥協して此の方法をとった。苦肉とも言う。
 「ねぇ」
 「はいッ?」
 距離が功をそうして幾分か楽だ。
 「あなた、不思議な人ね」
 「ふし・・・・・・ぎ?」
 「心に大きな“がらんどう”。目指す道を見ようとも求めようともしない。希望も情熱も活力すら持たないのに、与えられた生を消費出来ているなんて本当に、不思議な人」
 思い当たる節は多々有るが、此の状況では考えられない。初対面で其処まで見抜く眼力は特筆に値するが、初対面かつ笑顔で言う事ではないだろう。評価とも嘲笑とも取れる発言で、赤城の顔は多少引き吊った。
 女子は続ける。
 「私ね、此れから遊ぶの」
 「遊ぶ?」
 「此処はとても面白そうなの。『今度こそ満足出来る』って思うとね、すごくゾクゾクしちゃうの。此の世界に出逢えた事を、貴方の神に感謝します」
 女子は胸の前で十字を切った。『あなたの神』と言われた赤城は口には出さず、脳内で聞こえない反論をする。
 「あなたも遊ぶ?」
 輝く瞳で女子は赤城に尋ねる。
 「遊ば、ないです。はい」
 少しの間を置いて、滑舌が悪くならない様に、ゆっくりとハッキリ言う。初対面だから顕著である。
 「遊ばない?」
 「え、いや、厳密に言うと、遊べないです」
 「遊べない?」
 「講義があるんで・・・・・・」
 語尾がモゴモゴして本人にすら聞き取れない。女子は不思議そうな顔で赤城を見つめ、赤城は眼を見れずに額や顎に視線をやっている。
 「遊びたくないの?」
 女子が問う。
 「あなたは遊びが嫌いなの?」
 「・・・・・・遊べるものなら、遊びたいです」
 溜め息をついて、赤城は本音を言った。心が何時より暗くなる。
 「じゃあ、時が来たら遊びましょ。終わるまで待ってるから」
 女子の顔に笑みが戻り、提案する。赤城が返答に困っているのを尻目に、女子は右手を後ろに回し、赤城の前に差し出した時には、十五センチくらいの白いヌイグルミを持っていた。先程、赤城が渡したヌイグルミの、色違いのサイズ違いである。
 「拾ってくれたお礼。もう複写したからオリジナルは要らないの。遊ぶ時に“握り締めて”ね、其れまでは守ってくれるから」
 微笑みながら解らぬ事を言う女子。返答に困っていた時点で思考がドロドロになっていた赤城は無意識に任せ、白いお礼を両手で受け取った。ヌイグルミの眼はやっぱり赤く、白い体に非常にマッチしている。白と赤、黒と赤、赤城は此の組み合わせが好きだ。
 眼に見入っていた赤城は、己の鼓膜が捉えた突然の大音量に酷く驚いた。凶悪な宇宙生物に狙われているクルーよろしく、周囲を慌ただしく見回すと、ガイダンスを終えた学生が大勢居た。チャペルからも人が出てきている。
 驚いた衝撃で思考が動き出す。同時に赤城は唐突に、“今まで時間が止まっていた”事に気が付いた。脈拍が上昇して喉がみるみる渇き、パンクしそうな頭で女子の方を向くと、女子は何処にも居なかった。
 言葉が出ずに、喉から変な音が出た。
 鐘はまだ鳴っている。

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【2011/07/31 20:35 】 | 戦神稲荷 | 有り難いご意見(0)
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